2015年06月24日

私見の「談話」は必要ない

安倍首相が考えていた閣議決定を要する「首相談話」はできそうもないから、個人的な考えを込めた「首相の談話」と「の」を入れた談話を考えているらしい。

しかし、よくもまぁ、そんなことまで考えるもんだとおかしくなってしまう。

 戦後70年の節目だから、首相としては何としても「未来志向」の談話を世界に発したかったのだ。

 首相が頭に描いていたのは、過去の村山談話、小泉談話のような「過去」を振り返るのではなく、もっと日本が世界に果たす役割を示そうというものだった。

 ところがこの思惑が首相の歴史認識に絡んで、国内だけでなく国際的にも問題視されるようになった。どうもうまくいきそうもないと分かって方向転換したわけである。

 だが、そこまでして「談話」を出す必要があるのか。

 大体、「の」が入らない談話と、入った談話を英語に翻訳する場合はどうする。

 「の」が入ろうが入るまいが、世界は「首相談話」と見るに決まっている。

 それに、いちいち「ことわり」や「注釈」を付けるつもりなのだろうか。
 
 私見の談話など全く必要ない。無意味だと村山元首相も批判している。

 自分を中心に世の中が回っているわけではない。

 東京・永田町では誰も怖れをなして物申さないが、もう少し、自己主張、持論を控えてみたらどうだろう。

posted by 裁判官 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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