2015年05月08日

安倍訪米に見るメディアの矜持

 のっけからマスコミ批判をするのも気が引けますが、
最近の報道で「それはないよ」と腹立たしいと言うより、唖然としてしまったのは訪米した安倍首相の米議会上下両院合同会議での演説と、これを伝える日本マスコミの中身でした。
 首相演説は何と例えればいいのか、適当な言葉を探すのも気が滅入るくらい、内政を飛び越した見事≠ネまでの演説でした。米国人が喜びそうな「言葉」をこれでもかというほど散りばめ、不似合な「演技」を織り交ぜながらの語り口には、思わず「そこまで言っていいのか」と思うほどでした。
 オバマ流のしぐさとも言える親指と人差し指で輪を作って議員らに訴える身振り、太平洋戦争の日米両軍の激戦地・硫黄島の戦いで上陸した海兵隊中将と日本軍を率いた栗林忠道中将の孫の新藤前総務相を議場に招き「握手」させて見せ、「熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になった」とアピールし、「真珠湾」「バターン」といった第2次世界大戦の戦場の名前にも言及、日米の和解を演出したパフォーマンスは議員らの喝采を呼んだことはご承知のとおりです。
 先の大戦の過酷な教訓を自ら言い出し、その上に立って日米の現在の友好を揺るがない同盟と位置付けた演説は、2020年の「東京オリンピック」招致を決定づけた首相演説同様、万全の準備を整えたものであったことは間違いありません。
 名女優や名俳優がバーチャルな世界を演じてみせる姿に、私はいつも演技者の業を感じます。バーチャルな世界があたかも現実であるかのような錯覚を観客に思わせるのは、訓練された演技のたま物なのです。
 だが、これは政治には当てはまりません。政治は現実であり、外交は国益を懸けてその現実を実現するものなのだからです。
 その意味で、安倍演説は日本の政治を場違いな演出で「現実」にしてしまいました。まるで、小中学生の学芸会の演劇を一国の政治指導者が演じてしまったようなものです。
 日本の政治、とりわけ国際舞台での政治指導者たちの立ち居振る舞いのぎこちなさ、下手さは誰もが知っています。世界的な問題で多くの貢献をしながら、それに見合った評価が得られないのは、政治家も官僚も各国にその貢献度を説得できていないからなのです。
 例えば、1990年の湾岸戦争で日本は130億ドルもの財政支援をしながら戦争終結後、クウェート政府が発表した感謝国リストに〈JAPAN〉の名はありませんでした。そんな気の遠くなるような国家予算を投じ多国籍軍を支援しながら、日本が目の当たりにした現実は「おカネで済ませようとした」現実に対する世界の冷笑でした。
 戦略なき経済大国の「外交敗戦」のトラウマが日本外交に根強く潜み、これが安倍首相の生来の「戦後レジームからの脱却」が「集団的自衛権行使」「積極提平和主義」を呼び、今度の米議会での演説で日本の針路を国際公約としてしまったのです。
 首相演説のさらなる間違いは法案もまとまっていない集団的自衛権行使に向けた安保法制を今年夏までに成立させると断言したことです。首相の頭には、国会審議もこれからの安保法制の国内論議は何とでもなるという思いがあったのでしょう。
 ここにも自民党の1強多弱、政権内では安倍1強という驕りがあったことは間違いありません。少しでも政治に謙虚さがあれば、国内を頭越しに米国議会で公約≠キることなどありえないことです。
 そんな天にも昇るような安倍演説に日本のマスコミはどう対応したでしょうか。米国の主要メディアは放送を例にとれば、わずか20秒間のニュースだったと言います。安倍、オバマ両氏の共同会見も、日米関係とは全く無関係な人種問題が会見の3分の1を占めたということです。
 安倍訪米を克明に伝えた日本メディアの中身は、次に書くことにします。
posted by 裁判官 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/418640739

この記事へのトラックバック